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人々は原始的なものを崇拝し、万物に霊魂有りと信じており、山川草木はいうにおよばず全ての物全てが守護霊をもっている。彼らが普段敬い奉っている主な神は、山神、石神、樹林神、火神などである。旧暦六月二十四日がタイマツ祭りで、行事全体の初めから終りまで火の神、喜鵲鳥(カササギ)神信仰が貫かれている。このイ族タイマツ祭りの踊りには一つの大変もの悲しい物語が伝承されている。

タイマツ祭りの由来とドラ踊りの伝説

狩猟期のニス・ロウ系のイ族は大変弱小な民族だったといわれている。当時この部族に馬桜花という大変聡明で美しい一人の娘がいた。十数余りの他の部族の長たちはいずれも、もしこの馬桜花(訳注−ツツジ・チャクナゲの類)を我がものとすることができないとすれば、兵を繰り出してこのロウ・ニス部族を全減させてやろうとしていた。このことがロウ・ニスの美しい乙女の心を不安と焦燥に焔し入れた、十数余部族のいずれもがロウ・ニスよりも力が強かったが、しかしどの部族も行動に出ることができなかった。一つの部族を服属しようとするとすぐ他の部族が兵を挙げてこれと敵対するどいう有り様であった。いわばロウ・ニス部族は消滅の危機に瀕していたわけだが、彼女は自分の部族に難を蒙むらせてはいけないと思い、ひとり心を決して他部族の者たちに嫁迎えの儀を準備させて、六月二十四日夕イマツ祭りの山に参集させた。その日、ロウ・ニスの娘はタイマツが盛んに燃やされるその場に十数余部族の面々が全員到着し終えると、新しい服に着換えて、天空を仰いだ後火柱の所へ走り行き燃えさかる炎の中に身を投じてしまった。ロウ・ニス部族の一同は悲憤慊概して涙し、急ぎ躯け寄ってみたが、帯一本しか残っていなかった。ロウ・ニスの娘は燃えさかる炎の中をゆっくりと天に昇り、幻と化し、ついには一羽の喜鵲鳥(カササギ)と変じて天空かなたへ飛び去ってしまった。すると黒雲満つる天空から大雨が降り出した。部族の人々は雨の中タイマツを手に取って狂ったように踊り、順の中の憤りをぶちまけ、他部族からの強引な辱しめが忍び難く、部族の者同志耳び掛け合って集まり、部族の存続のため身を献げたロウの娘を敬い奉った。暴風雨は一層ひどくなり、踊る人々は益々増えた。夜のとばりが降り、人々は三日三晩踊り続けた。
後に旧暦六月二十四日になるとイ族の人たちはタイマツ祭りを始めた。そして部族の存続のために一身を畝げた娘を喜鵲鳥娘と呼ぶようになり、これが当該部族崇拝の聖火、火娘を指し示すこととなった。
以後これが代々受け継がれて今日に至っている、初めはただタイマツをかかげて、火を取り囲んで踊っていたのだが、後にドラ踊りや古歌詠唱が加わった。古歌の主な内容は、自民族発展の歴史をたどり、喜鵲娘のことを偲び、そして部族の創世や流転移動の歴史を述べている。そしてドラ踊りの加入については次のような伝説がある。明代の伝えによると建文帝は朝廷の乱を逃れてイ族ロウ人の居住地に至り、山中でソバを守り育てていた老人に遇い一緒に暮した。二人は同棲して同じ物を食べ、一つ木のベッドで寝た。建文は連日の疲れから、寝入るとすぐに熟睡し、知らないうちに半身が老人の身体によりかかってしまった。夜が明け、建文によりかかられた老人の半身には陽の光が当らなかったが、他の半分は既に陽の光があたって温くなった。イ族の老人はこの者はただ者ではないと思い、建文の重ねての頼みにより序々に彼と親しくなり兄弟の契りを結んだ。半月後朝廷内がすっかり平安となり、建文は親しくなったソバ守りの老人に別れを告げて宮廷にもどった。数カ月後、建文は彼を助けてくれたソバ守りの老人のことが忘れられなく、彼に数日間都へ来るように手紙を送った。イ族の老人は承諾して二匹の鶏鳥と山の特産物を携えて都へのぼった、その途中突然の大雨に遭い、川を横切る時、二匹の鵝鳥が洪水で流されてしまい、あわてて押えようとしたが、羽毛一本しか手に残らなかった。イ族の老人は大いに悔しがり、しかたなくその羽毛を土産物として送った。このことから後代の人々に「千里の遠方から鵝鳥の羽毛を土産に持参する。つまり贈り物は粗末ではあるが、それにこめられた気持ちは尊い」。とい

 

 

 

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